ランニングが教えてくれること

糖尿病というきっかけとランニングを始めたころ

ランニングを始めたきっかけは、生活習慣病の悪化でした。具体的には糖尿病です。

糖尿病になって考えた運動からランニングへの道のり

糖尿の合併症が現れていないうちだと、自覚症状は一切ないのですが、30代での暴飲・暴食といった不摂生が続き、体重も100キロ近くになっている時期もありました。

血液検査の結果から、お医者さんに「次からはインスリン注射だよ」と言われ、自分で注射することには抵抗を強く感じ、食事は「食べたいもを食べたい」ことを優先するのであれば。

運動療法しかない!といういきさつでランニングを始めたのがきっかけでした。

学生の頃から、一切運動はしておらず、一度、閉まりかけた踏切を渡るために、ダッシュしたとき、足がもつれてこけてしまった経験もあり、運動は人生でもうすることはないだろうなと考えていました。

始めたころは、ヤマダ電機のような敷地の広い建物1つ分くらいの数百メートル走るだけで息があがっていましたが、毎日続けていると走り終わったときの爽快感が気持ちよく感じるようになりました。

日に日に、距離や時間を更新し、次はもっと走りたいという気持ち・欲が出てくるようになり、数年経過してみると12時間以上、100km完走できる身体になっていました。

速さにはこだわらず、休憩も含めて、半日以上身体を動かし、遠方まで走り、帰りは電車。休みの日のランニングプランを考えることが楽しくてたまりません。

隣の市や県を超えて、3000円以上の電車賃に相当する距離を自分の足で走り切ることは、自分自身に自信が持てるようになり、仕事のあり方やスタイルや人との接し方が変わり、人の可能性に限界はないということを実感するようになりました。

私は飽き性なので、日課として同じところを走るということはせず、毎日違うルートを探す、それを試していくということにしています。そのほうが、冒険のようで楽しく走れています。

想定していなかったことを見つける喜びもあります。長い距離を更新すると、昨日までの自分を超えて、新しい強い自分になれたような気がします。

身体はボロボロになり、あちこちで痛みは悲鳴をあげます。そんな状況自分の身をおいてみて初めて見えてくる世界があります。

あるランナーがフルマラソンを初めて完走したとき、見えたのはゴールではなく、自分のランニング人生のスタートが見えたと言っていました。まさにそうだと思っています。

今の走りとこれからの目標

ランニングをしない人にとっては、上り坂を走るのはきつくてしんどいものだと思われがちですが、私にとっては、(おそらくランナーにとっては)上りのほうが楽しいと思います。

考えられる理由は1上るほうが頂上など目的に向かっているという感覚になれる、2他のことを忘れられ集中できる、3(下りでおきやすいような)ケガはしにくい ということです。

だから、練習の意識を持っているほうが、下りのほうであって、着地筋を鍛える必要があるとか、克服のためのトレーニングを考えているのはいつも下りです。

理由1の目的意識ですが、上りきってそこからの眺めが最高のご褒美になります。同じ景色でも自分の足でたどり着いた場所ならその眺めは特別です。高い場所を意識するようになり、自分の走りの舞台は次第に山が増えてきました。

トレイルランニングです。シューズ、バックパック、行動食の補給など、色々調べて購入して使ってみて楽しんでしいます。山という自然からは様々な教訓を与えられます。

自分とは?生きることとは?走っていて色々考えます、考える時間がたっぷりとあるのです。

「24時間の走りの中で一生の喜びと苦痛を得られる」という人もいます、まったくもって同感です。

夜の山、最初は怖かった、女の幽霊に誘われていってみると、そこは崖だったという経験もあります。疲れから色々な幻覚は夜のほうが見やすいです。イノシシ、蜂で危ない目にもありましたが、彼らの山の生活にお邪魔しているほうは人間です。

謙虚な気持ちもそんなことから学びます。5000キロカロリー以上の運動ですから、終わったあとのビールがうまいし、糖尿のことも気にならなくなっています。

96キロあった体重は現在72キロ。別人です、自信をもった自分の顔を鏡で見ることが多くなったと思います。フルマラソンを超える距離のマラソンをウルトラマラソンといいます、ちょうど2個分のときはダブルフルというときもあります。

世界には、砂漠を何日もかけて走るようなレースもあります。3年でそのレースに参加することが目標です。私は40代なのですが、100キロの平均タイムは40キロ代が他の世代をぬいて堂々の1位です。

10代でも20代でもありません。それは距離が長くなればなるほど、筋力以外で走るということだと思います。頭脳で走るのです。

自分のこと、自分の体力のこと、これから自分の身体がどうなるのかということを一番知って考えられるのは、40代ということだと思います。

ウルトラマラソンは、新しい自分に驚ける行為だと思います。明らかに、人の可能性は無限なのです。
どんなに遠いゴールでも進み続けることをあきらめなければたどりつけるのです。速いか遅いかよりたどり着くこと自体のほうが大切だと考えるようにしています