日本サッカーにおける永久欠番の歴史

永久欠番は、歴史だ

Jリーグが発足して20年余りが経過しましたが、ヨーロッパサッカーなどでよく目にする「永久欠番」が登場した日本のクラブチームは依然としてほとんどない状況です。
クラブに大きく貢献した選手や栄光や輝かしい功績を残した選手をたたえる意味で用いられる永久欠番ですが、実が日本の「サガン鳥栖」にはJリーグで大変珍しい永久欠番があります。

「サガン鳥栖」の永久欠番とは?

その番号とは「17番」になります。こちらの17番を表現する人物の名は、坂田道孝さんです。
この坂田さんが永久欠番としてはすごいところは、実は坂田さんは元サガン鳥栖出身の選手ではなく運営側で尽力をつくした方であることです。

坂田道孝さんについて

坂田さんは、サガン鳥栖が本拠地として置く佐賀県サッカー協会の理事長やサガン鳥栖の運営委員を務めるなどサガン鳥栖だけではなく九州サッカー全体の発展に貢献しました。
しかしながら、2000年1月7日にこの世を去ってしまい、この命日をサガン鳥栖では永久欠番として登録をしています。

よくサッカーではサポーターのことを「12番目の選手」として表現しますが、坂田さんは「17番目の選手」として広く認知されその活躍を今なおたたえられています。
通常サッカーの試合では、11名の選手とベンチメンバー5名を入れた全部で16名の選手に出場する機会が与えられています。
その点で、17番目というのは先発メンバーと控えメンバーを除いて一番若い数字となり、それだけに17番という番号の価値も含んでいます。

ちなみにJリーグで永久欠番として認められたのは、今回ご紹介したサガン鳥栖の17番が初めてということで日本サッカーの歴史において永久欠番の幕開けとなった事実もまた、日本サッカー界の発展に貢献した功績の1つといっても過言ではないでしょう。

日本のサッカーが地域密着をモットーに地元に愛されるクラブチームを作り上げるという理念のもとで、通常では永久欠番は選手になぞらえられて与えられるものが多い中で、裏方の存在を大切に思い永久欠番にまでしてしまうところをみると日本サッカー界は世界でも類を見ないサポーター愛溢れる存在し続けるものと思います。

サガン鳥栖というチームを深く知らなくても、坂田さんの存在をきっかけにチームを認知しサポーターがまた一人増えることもまたサッカーの歴史を語る上で大切なことといっても良いでしょう。


日本サッカーで定着している永久欠番「12」

日本サッカーにおいて、暗黙のルールとして全クラブが「永久欠番」として認知している番号が存在しています。
その番号とはずばり「12番」。
どのクラブチームを見渡してみても、12番を背番号登録している選手は皆無となっています。

その全クラブ共通の永久欠番である12番を背負う人は、そう「サポーター」なのです。Jリーグが創設されると各クラブチームを応援するファンが付いていきました。やがて、ファンクラブができチーム全体が好きな方や愛着のある選手がいるからなどそのチームを応援する理由は様々ですがどんな理由でも特定のチームを応援する人はみな「サポーター」として、この呼び名で浸透しています。

野球やそのほかの協議でも応援する人のことを「ファン」という呼び方をしますが、唯一サッカーにおいては「サポーター」という呼称になっています。

しかし、日本Jリーグにおいてある1つのクラブのみがサポーターの番号を表す「12番以外の番号」をサポーター番号として永久欠番にしているという特異なクラブもあります。
さきほどのサガン鳥栖では坂田さんの命日でもある「17番」を坂田さんを含めたサガン鳥栖サポーターのサポーター番号として認知し「永久欠番を12番ではなく17番」として登録をしています。

日本以外にも海外の有名クラブチームにおいても12番をサポーター番号としてみなし、永久欠番にしているところも少なくありません。実際には、オランダのフェイエノールトもその1つです。

ただし、注意しなければいけないことはあくまでも日本サッカーにおいて12番という背番号が永久欠番として認知されているのはあくまでも「暗黙のルール」であるということです

正式に永久欠番として日本サッカー協会が認めているというものではないので、その気になればクラブチームでも12番を背負った選手が登場しても問題ではありません。
ただし、正式には12番を登録した選手も可能という状況にも関わらずそのれぞれのクラブチームが同じ思いで12番または17番を永久欠番と同等の意味を含み、その背番を意味する人々をたたえている姿はとても美しいスポーツマンスピリットであることは言うまでもありません。