無くならない鉄道事故への憂いと必要な助け合いの精神

無くならない鉄道事故

今回もニュースで車椅子の人が踏切で事故に遭遇してしまい、命を落とすという最悪な結果となった。
私の利用している駅は、京浜東北線蕨駅で昨年盲導犬と共に目の不自由な方がホームから落下してしまい命を落としている。

鉄道事故への対策は費用もあり後手

現在、ホームにはそうした落下防止のシールドが設置されつつあるが、いまだこの蕨駅には設置がない。
非常に痛ましい事故があったにも関わらず、この駅で起きたそうした事故は忘れられ事故前と変わらない状況が続いている。

朝忙しい時間帯は警備員がいるのだが、お昼ごろにはそうした警備員の姿はなく、夕方になってもあまり見かけない。

京浜東北線そのものは車両が長く警備員一人というのは無理があるし、時間帯においてはそれすら無いのではなんの教訓になっていない事が、私は気がかりでなりません。

京浜東北線は利用客は多いのですが、浦和駅以降、南浦和や蕨、西川口記憶だと川口駅もまだシールドの設置がなかったように思います。
赤羽駅でようやくあるのですが、つまりは利用客が多いけどこの設置が結構遅れているという事です。

しかし問題はそうではありません。利用客が多いという事は、仮に落下しても他の人が気が付いて停止ボタンを押せば事故は防げるでしょう。

しかし人のいない間隙においてそうした事故は、今回蕨駅で起きた訳です。
つまり落下した事が気が付かないでそのまま電車がホームに侵入し引かれてしまう。あるいは今回のような踏切で、障害者が車椅子が挟まるなどの事故に気が付かつかず、電車が来てしまうケース。つまり気が付かないという事が、事故によって命を落とす結果となっているのです。

仮に警備員が居ても気が付かない事は十分に考えられ、必ずしも利用客が多いから起きる事故でもないと私は思います。むしろ、利用客の少ない田舎の鉄道でも落下に気が付かないで事故が起きてしまうケースは十分ありうるし、そうした鉄道会社はそもそもシールドを設置する余裕もありません。

盲導犬と点線ブロックが目の不自由な人にとっては、これまでと同様に頼みの綱でこれから何一つ進歩してないのが、現在の駅のホームであると感じています。しかもこうした事故があっても、障がいを持たない人中心で忘れられてしまう事に、自分は非常に悲しく思います。

事故は鉄道会社だけの問題ではない

最近、某参議院議員の現職秘書にこの話をしました。
蕨駅での落下事故について話をする機会がありましたが、なかなか問題意識はあるものの取り分け駅のエレベーター設置などの話が中心で、事故についてまだ県や市との要望にまでは至ってないようだった。

しかし、蕨駅には目の不自由な人の乗車をちょくちょく見かけるので、猶予はないと私は思っています。
私たちが目隠しをして切符売り場まで行けるだろうか?私は登り降りする階段すら恐ろしい。それを考えると駅のホームは尚危険と考えます。

やはり単純な事かもしれませんが、みんなで、このフォローをするのがいいと考えます。駅に呼び鈴をつけ、こうした障がいを持つ方に対応にあたる職員を駅に常駐させるべきだと考えています。

駅員も車椅子の乗車をフォローしていますが、やはり乗車人数や駅ホームまでの保護は別の職員がやってもいいように思います。それと踏切のパトロールがあってもいいと思います。

踏切での事故が絶えないので、歩いてパトロールする人を雇う事がいいのではないかと思います。そうした人件費は鉄道会社と街が相談する場を、やはり設けるべきでしょう。

私は以前点字の編集者を訪れた事があります。点字は亜鉛に突起をつくり、これがエレベーターの横にある点字となっているんですが、これを厚紙を押し付けると紙に凹凸が出来るので、これを読み取って字を認識するそうです。

私が見たのはそうした点字がしっかり、街の広報誌などに正確に誤字脱字がないかをチェックする会社を見学したのですが、そうした職員も鉄道を利用するので目に障がいをもつ人も安心して、鉄道が利用できる環境を速やかに作る事が大切だと思いました。

耳が不自由な人への配慮は忘れていないか

今回は主に目の見えない人について問題提起でしたが、耳が聞こえないなどの障がいをもった人もいます。

確かに目が見える分落下事故には至らないかもしれませんが、音がないのはやはり危険を感知する情報が欠けてしまいます。

駅には耳の不自由な人について、あまり配慮しているようには見えません。

電車が侵入する際、耳が聞こえなくても察知できるような仕組みは、何か策を講ずるべきではないでしょうか?私達が身近で利用する鉄道は、誰もが安心して利用できるインフラでなくてはならないと思います。