お笑い芸人と添乗員
イケメンよりもてる、お笑い芸人
お笑い芸人はモテますね。特に最近は、きれいな女優やモデルと結婚するお笑い芸人が増えています。
例を挙げれば、佐々木希と渡部健、藤原紀香と陣内智則、木下優樹菜とフジモンこと藤本敏史、藤本美貴と庄司智春、と枚挙に暇がないほどの数です。
では、お笑い芸人は何故こうもモテるのでしょうか。モテる要素とは一体何なのでしょうか。容姿が良いからでしょうか。金持ちだからでしょうか。有名だからでしょうか。
こちろん、これらもモテる要素には間違いありませんが、もっと根本的なものがあるのです。100人の女性に尋ねてみても、出てくる答えは、圧倒的に次の「三大要素」なのです。
第一には、「ユーモアがある・面白い」、次に「頼りがいがある」、そして最後に、「優しい」
お金持ちとか容姿が良いとかいうのは順位が低いのです。(まぁね、ひがみもありますがね・・。)
お笑い芸人は人を笑わせるのが商売ですから、面白いのは当たり前でしょう。昔のお笑い芸人の中には、家に帰ると口もきかない人も多く居たようですが、今の芸人は比較的プライベートでも面白いようです。
次の「頼りがいがある」については、厳しい競争社会において生き抜くためにはそれなりの根性やヴァイタリティが必要です。特にいわゆる売れている芸人は、ヴァイタリティに溢れています。これは、異性にとっては「頼りがいがある」と思われるのでしょう。
「優しさ」ついては、特定の人を好きになったときは誰でもその相手に対しては優しいのは当然です。特に芸人は優しさを言葉や態度に表すのが上手なのではないでしょうか。
後に離婚したりするのはこれらの要素が通用しなくなった時でしょう。この三大要素に加えて、稼ぎが良かったり、容姿が良かったりしたら異性は放っておかないでしょう。
しかし、これらの三大要素を芸人よりも強く持っている職業があるのです。
それは、「添乗員」(特に、海外旅行添乗員)なのです。
添乗員は、時にはユーモアを交えてツアー客を和ませることも求められています。ツアーの参加者には平等にそして優しく接するよう教育されています。集合時間や日程の確認をするのも添乗員の大事な仕事です。
てきぱきと参加者に説明・指示をする姿は、実に「頼りがい」があるのです。特に初めて海外旅行をするような人にとって、ユーモアがあり、頼りがいがあって、優しい添乗員は最高の人なのです。これに加えて、語学が堪能で、男前であったら女性は放ってはおかないでしょう。
それでは、お笑い芸人と添乗員はどちらがモテるでしょう。海外旅行先においては添乗員の方がモテるのは間違いありません。しかし、ここに一つの問題があります。添乗員がモテる要素は海外旅行先でしか通用しないのです。言葉も通じない海外という特殊な環境下にあるときは、添乗員は優しくて、ユーモア溢れ、頼りがいのある最高の人なのですが、帰国した途端に、頼りがいと優しさは消えるのです。添乗員は帰国後もユーモアを持って接してくれる訳ではないのです。
従って、本当にモテるのは、やはり、お笑い芸人なのです。そりゃそうだ。
ある添乗員さんの話しより
<以下は添乗員を経て独立しのちに社長となったAさんの手記である>
私は23歳のときに外資系の旅行会社に入社し、約20年後に独立しました。26歳から55歳までの29年間に77回の海外旅行添乗員を経験しました。
26歳のとき最初にヨーロッパツアーの候補に挙げられた際に、隣の課の課長が「〇〇は添乗経験がないからダメだ」との理由で、私を候補からはずそうとしました。私はこの課長の理由に納得が行かずに食ってかかりました。
曰く、「課長あなたが初めて添乗したときはどうだったのですか? 誰にでも初めてのことはあるでしょう。私が、これこれの理由で添乗員として相応しくないというのであれば納得できますが、初めてだからという理由ではずされるのは承服できません」と突っかかりました。
その後、営業会議での議論の結果、私の主張が通り、15人をヨーロッパに3週間添乗することになりました。このように、「初めてだから・前例がないから」という理由で何かを断る、決裁しないというのは日本人の悪い癖であると考えます。アメリカの「フロンティア精神」を少しは見習うべきです。
日本は特に第二次世界大戦後目覚ましい復興を成し遂げたことは誰もが知っていることです。日本人は「真似をする」ことが得意です。世界の良い物を真似して作り、最終的には元の物よりも良い物にしてしまう技術を持ち合わせています。
一時は、このことにより世界の顰蹙を買ったことも多々ありました。例えば、ニューヨークのエンパイアステートビルの店で売っているレプリカの裏を見ると「made in Japan」、どこかで土産を買おうとすると同じく「made in Japan」と書かれていました。
最近はこれらは「made in China」「made in Korea」に変ってきましたが、最初の頃は、この事をアメリカ人に揶揄され、恥ずかしさと、誇りを感じるのと半々であった記憶があります。
私は、後に会社の営業部長となり、後に独立して社長になりましたが、前述の添乗員の事例を忘れずに、初めての事にも挑戦するように心掛けました。部下が初めての企画や初めての話題を持ってきたときには、喜んで話を聞き、出来る限り実行に移せるように努力したものです。
「初めて」とは貴重なことです。年齢を重ねた現在でも、初めてに挑戦し続けたいと思っております。